あれから7年

2011年3月11日午後14時46分、あの時まで経験した事がなかった恐怖。
ヤバいと思った。
壁掛けスタンドにのせたサーフボードが落ちてきて少々の打撲、板も少々破損した以外はそれ程被害はなかったが、今まで経験した事のない恐ろしい揺れ方だった。
外に出ると家も電柱も木も「ムンクの叫び」のようにグニャグニャと揺れていた。
お年寄りがブロック塀にもたれ掛かっていた。危険なので移動させた。
鎌倉にも小さいが津波がきた。川を遡ってくる様子は不気味だった。
停電。家に一人でいるのは心細くて行きつけのBarに行った。営業してくれていてホッとした。

情報が錯綜する中伝わってくる被害の大きさ。
大地震、大津波、そして、原発事故。。。
両親と妹夫婦他、僕の家族、親戚はほとんどが東北にいる。
あの日、妹とは中々連絡が取れなかった。
幸い大きな被害はなかったが、その後しばらくは水も食べ物もままならない生活が続いた。
いつまた起こるかわからない大きな余震、原発事故による放射能汚染、不安な日々。
家族には放射能測定器を買って送った。
少し間をおいて支援活動にも出かけた。
現地に立ってみて唖然とした。言葉にならなかった。。。

そして、7年たった今
国は本当の意味での被災地の復興を考えているとは思えない政策を取っている。
未だ何も変わらない放射能汚染。
その中での原発再稼働。。。
何も解決していないのにそれを誤魔化すような政策。
「ただちに影響はない」この言葉が全てを物語っているように思う。
軌道修正しなければ日本にも世界にも未来はない。

次第に記憶は薄まってしまう。
そして、国は意図的に記憶を薄めようとしている。
だが、忘れてはいけない。
忘れない為には形として残し、言い伝え、思い出さなければならない。

あれから7年
午後14時46分黙祷

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